第六話 シンクロニシティの分類

 

世の中には不思議な偶然「シンクロニシティ」が溢れています! 奇跡や偶然、不思議なことの多くは、シンクロニシティの秘密が 関わっているのですが、 どれもこれも、「シンクロニシティ」の一言で片付けてしまうには、 範囲が広すぎます! 世界には、ユングの他にもシンクロニシティの秘密を研究した人が たくさんいます。 今回は、その人達の言葉を借りて、シンクロニシティを様々に 分類してみたいと思います・・・。

* ユングの3つの分類 * ユングは心理学者ですので、シンクロニシティを分類するのにも、 人間の心を主体にして分類しました。 1、何かを考えたり、思ったりしているのと同時に、   同じ場所で、それに関係があるような事が起きる。 2、何かを考えたり、思ったりしているのと同時に   離れた場所で、それに関係があるような事が起きる。 3、何かを考えたり、思ったりしたことと、関係のあるような事が、   未来に起きる。 ユングは、シンクロニシティを、 “人の心理状態”と、“時間”と、“場所”のみで分けたようです。  彼の分類では、理論的には収まっていますが、実際に一般の人々が体験する シンクロ二シティには、この分類からはみだしてしまうものが出てきます。 たとえば、こんな話があります。 (定方昭夫著「偶然の一致はなぜ起こるか」河出書房新社) 「ウチの人と結婚する前にね、A家具店の前でケンカしたことがあってさ。 もう頭に来て手にしていた五千円札を丸めてウチの人の顔に投げつけて 帰ってきたことがあるのよ。 そしたら後できいたら、ウチのひとってサ、それが五千円札だなんて思わず ただの紙だと思って、拾いもせず帰ってきたというわけよ。 ところが不思議なことがあってサ、ウチの人と結婚してからだから、 そのことがあって、四、五年も経った頃にまた同じ店の前を通ったとき、  手にした傘の先でヒョイと地面にへばりついていた紙切れを拾い上げたら、 何とまあ、聞いてよ、その紙切れが五千円札だったのよ。 一瞬あのときの五千円かと思ったわよ」 不思議なこともあるものですね。 このシンクロニシティでは、人の心理は関係していないので、 ユングの分類は当てはめることが出来ません。 

そこで、シンクロニシティを研究したアラン・ヴォーンは、 こういった事例も含められるよう、ユングとは違う4つの分類をしました。 * アラン・ヴォーンの4つの分類 * 1、びっくりするほど確率の低い事柄に、まったく偶然に出会った場合 2、心霊的に意味のあるあやまちをしたことがきっかけで、   別の、意味のある偶然の一致に出くわす、という場合 3、捜し求めていた対象にひょっこり出会う、という場合 4、偶然の出来事が未来の重大事に深い意味を持っている場合 1の分類の良い例があります。

 (ユング、パウリ共著「自然現象と心の構造─非因果的関連原理」海鳴社) 「作家ウィリアム・フォン・ショルツは失くなったり盗まれたりした物が、 不思議な具合に持ち主に帰ったいくつかの話を集めている。 なかでも彼は、自分の幼い息子の写真をシュヴァルツヴァルトという所で 撮ったある母親の物語を伝えている。 彼女はフィルムを現像してもらうために、ストラスブルグに出しておいた。 しかし、戦争勃発で彼女は取りに行くことができず、失くなったものと 諦めていた。 1916年に彼女はその間に生まれていた娘の写真をとるために フランクフルトでフィルムを買った。 フィルムが現像されると、それが二度感光されているのがわかった。 だが何と下に映っているのは彼女が1914年に自分の息子をとった 写真だったのである。 昔のフィルムは現像されずに、どういう具合か新しいフィルムの中に まぎれこんでいたのである」 

普通に考えたら、あり得ないような確率の偶然の一致ですね。 シンクロ二シティの分類をした人には、考古学者のフランク・ジョセフも います。  彼は、ふとしたことから偶然の一致を体験し、独自に研究をしました。 800人以上にインタビューをし、多くの文献から豊富な実例を収集し、 シンクロニシティを17に分類しています。 * フランク・ジョセフの17の分類 *  1、物品(物体に関連して起こる現象) 2、数字(特定の数字の組合せや、同じ数字が繰り返し目の前に現れる) 3、環境および動物に関する前兆 4、予兆(虫の知らせ) 5、夢 6、導き(何かに迷っている時などに起こる、決心がつくような出来事) 7、テレパシー 8、パラレル・ライフ(二人以上の人間が、人生において何回か関わりを持つ) 9、ルーツ(人間のルーツを明らかにするような働き) 10、芸術(芸術が要素になって起こるシンクロニシティ) 11、警告(危険を回避するよう働く偶然の一致) 12、死(死の前兆) 13、救済(困り果てたとき、突如として差し伸べられる救いの手) 14、生まれ変わり(前世の証拠になるような偶然の一致) 15、天職(偶然の出来事を通して、自分の天職を知るような場合) 16、謎(謎全般) 17、人生を変えるような出来事 

その他、シンクロニシティを、一致した偶然の数で分類した人もいます。 「連続の法則」を著したオーストリアの生物学者カンメラーです。 * カンメラーの分類 * (アーサー・ケストラー著「サンバガエルの謎」サイマル出版会) 「二人の若い軍人が1915年、ボヘミアのカトヴィッツの陸軍病院に 別々に入れられた。二人は一面識もなかった。 二人とも19歳であり、肺炎にかかっており、シレジア生まれで、 輸送部隊の志願兵であり、名前も同じフランツ・リヒターだった。」 この場合、6つの共通点があるから、「六変数」と分類するそうです。 彼のシンクロニシティの研究では、 「宇宙に働く万有引力と比較できる力がある」と想定しています。 「例えば、引力や科学的類似性のあるものの間に働く磁力、性的引力、 生物学的適応性、共同生活、保護色模倣行為、その他年老いた夫婦や 主人と召使、主人とその飼い犬などがだんだん似てくるという奇妙な観察」 主人と飼い犬・・・は誰でも思うところがありますね・・・。 様々な物事の不思議を、偏見を交えずに、真っ直ぐ観察されたようです。 たくさんの人が、シンクロニシティを分類していますが、 時間、場所、心理、物など複雑に絡みすぎていて、なかなか全てを 簡潔に分類するのは難しいようです。 けれど、彼らの分類を見ると、大体、どのような不思議な出来事が 世の中に起きているのかは、分かってきますね。 

☆様々なシンクロニシティの例の中から、特に驚くべきものを、 上記の分類をしながらご紹介していきます。  ☆フランク・ジョセフの分類 2、数字 1975年9月15日、青森競輪場の第4レースの結果です。 1位 ゼッケン1番 中村敬 2位 ゼッケン2番 山口秀樹 3位 ゼッケン3番 塩秋良 4位 ゼッケン4番 大泉孝彦 5位 ゼッケン5番 松山光雄 6位 ゼッケン6番 金井武司 7位 ゼッケン7番 井田美代二 8位 ゼッケン8番 増田武次 見事な偶然の一致ですね。これと同じ現象が、1976年5月8日の 西武園競輪場で行われた第5レースでも起こっています。 (大上和博著「シンクロニシティの謎」青春出版社) 

☆アラン・ヴォーンの分類 3、捜し求めていた対象にひょっこり出会う(?) この話には色々な要素があって、うまく分類ができません・・・。 (上記 大上和博著) 「1829年10月、マーメイド号はオーストラリアのシドニー港をあとにした。 この船に乗っていた船員のピーター・リチャードソンは、自分がこれから どれだけ大変な航海に臨もうとしているのか知るよしもなかった。 マーメイド号は出航してから4日後に座礁してしまい、大破した。 乗っていた船員たちはスイフトシュア号に救助され乗り移った。 ところが、そのスイフトシュア号も2日後にやはり座礁してしまう。 そして、今度はガバナー・レディー号という船に救助され、全員が 乗り移った。 すると、そのガバナー・レディー号は乗り移ってから3時間後に 船火事が発生。 乗組員たちは航行不能となったガバナー・レディー号から、次は コメット号という船に乗り換えた。 だが、運命はさらなる困難をピーターたちに課したのである。 このコメット号は嵐に遭って転覆してしまったのだ。 今度はジュピター号に救助される。 だか、このジュピター号もすぐに座礁・・・。 救助される船が次々とトラブル続きとなり、それぞれの船に乗っていた 船員たちは合計128人にふくれあがっていた。 この128人は結局、シティ・オブ・リーズ号に救助された。 これで、ようやくこの波乱続きの船旅に終止符が打たれることになった。 だが、この話はまだ終わらない。 最後に救助してくれたシティ・オブ・リーズ号には重病の女性が乗っていた。 この女性は瀕死の状態で、とても息子に会いたがっていた。 周囲の人はそれを見かねて、ある若者をこの息子に見せかけて 会わせることにした。 最初に登場したピーター・リチャードソンである。 ところが、ピーターがその女性に会ってみると、なんとその女性は ピーターの母親であった。 乗る船が次々にトラブルに見舞われたおかげで、ピーターは危篤の 母親に会うことができた。 それとも、ピーターの乗った船がいくつもの事故を繰り返したのは、 母親に再会するためだったのだろうか。 どちらにしても、たくさんの出来事が、このシンクロニシティを 支えているのは確かである。」 

☆フランク・ジョセフの分類 11、警告 世の中に起きる事件すべてに、このような警告があれば良いのですが・・・。 (梁瀬光世著「世にも不思議な偶然の一致」学研) 「1950年3月1日のことだった。その夜、アメリカのネブラスカ州ベアトリスに ある教会では、7時20分から合唱練習がはじめられる予定だった。 ところが時間になっても、15名の聖歌隊員はだれひとりとしてやってこない。 といってもこのとき、とりたてて“事件”や“異変”がおこったというわけ ではない。 遅刻の理由は、全員、取るに足りないものにすぎなかったのだ。 たとえば牧師とその妻の遅刻は、彼女が娘の服のアイロンかけに 手間どったからだったし、 ある少女の場合には、数学の問題を解いてしまってから 出かけようと時間ぎりぎりまでがんばっていたためだった。 また、ある女性は車の調子が悪く、なかなかエンジンがかからなかったため。 ある母親と娘は、娘がうたた寝をしていてなかなか起きなかっただけのこと。 ほかの女性2人にいたっては、家で聞いていたラジオ番組があまりにも おもしろかったため、ついつい遅れてしまったのだった。 いずれにしても、15人すべてがまったく平凡な理由ばかり。 15人が遅刻するのに、それぞれ無関係の、ありふれた15の理由が あったわけである。 さて、問題はここからだ。 結論からいえば、全員が予定の時間に間に合わなかったのは、まったくもって 幸運だったといわざるをえない事件が、この教会で発生したのだ。 その日の午後7時25分。突如としてこの教会で爆発が起こり、 建物が倒壊してしまったのである。 もしも隊員たち全員が、あるいはだれかひとりでも、時間どおりに教会に 集合していたら、大惨事になっていたことはまちがいないほどの大爆発だった。 爆発後、三々五々に教会に集まってきた聖歌隊員たちは、崩れ果てた 建物をみて呆然としたものの、 『自分たちが全員遅刻したのは、きっと“神の御業”にちがいない』と 感動にうちふるえたという。」 この話はアメリカの雑誌「ライフ」で紹介されました。 後に数学者のウォーレン・ウィーバーが計算してみたところ、 この出来事が起こる確率はおよそ100万分の1だったそうです。